ガン発症は放射能が原因か
放射線を浴びれば浴びるほどガン(癌)になる可能性が増える…。この点について異論のある人はいないでしょう。しかし、問題はどれくらい浴びればガンになるのかが分からないことです。
根拠がどこにあるのか曖昧なまま、大丈夫だと思っている人もいますし、逆に危険だと思っている人もいます。これは研究者レベルでも同じようです。特に100mSv以下の低線量被曝ではその傾向は強く、研究者ごとに安全と危険との線引きは異なっているのが現状です。
放射線はこれ以下なら浴びても大丈夫という閾値は存在せず、少しでも浴びればガンになる確率が増えるというのが現在の常識です。
放射能とガンの関係
そもそも、ガンは複数の要因が複雑に重なって起こります。暴飲暴食、運動不足に夜更かしといった不摂生な生活、タバコやアルコールといった嗜好品、過度なストレス等など、ありとあらゆる原因が考えられます。それぞれの寄与度がどれくらいあるかもはっきりとは分かりません。
タバコとガンの関係は現在でも確かではありません(実際に試験することができない)。あの現代統計学の祖とも言えるフィッシャーもその因果関係を認めていません。
従って、放射能が原因でガンになったかどうかを判別するのはとても困難なことは想像に難くありません。そんな中、スウェーデンのリンコピング大学のトンデル博士(Martin Tondel)らの論文は興味深い内容になっています。
チェルノブイリ事故において、スウェーデン北部でガン増加が起こったのかどうかを疫学調査し、統計的な検証を試みています。通称、トンデル論文です。
Increase of regional total cancer incidence in north Sweeden due to the Chernobyl accident?
スウェーデンは住民登録が正確で、ガン診断登録制度があるため、汚染地域とそうでない地域を分けて集計し、統計的に検証できる土台があったことが幸運でした。
またチェルノブイリ事故を世界に知らせるきっかけとなったのもスウェーデンの原発にある環境放射線モニターです。当然、事故後の放射能の汚染度合いを詳細に調べていたので、データは十分に揃っていたわけです。
トンデル論文のキーとなるデータ
以下はトンデル論文のキーになる部分、汚染度別の住民数とガン発生数のデータです。セシウム137の汚染度合い毎に6つの地域に分けて、住民の数とガン発生数がまとめられています。
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<3kBq/㎡ 359,509 6,691
3~29kBq/㎡ 527,812 10,378
30~39kBq/㎡ 92,323 1,827
40~59kBq/㎡ 124,862 2,744
60~79kBq/㎡ 21,625 401
80~120kBq/㎡ 17,051 368
住民数は1988年1月1日時点(チェルノブイリ事故前)のもので、男女合算してあります。ガン発生数は1988年から1996までの8年間で、その間に発生した数になります。
仮説としては「汚染が酷いほどガン発生率が増える」としたいわけですが、論文では以下の表のように結論付けています。
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<3kBq/㎡ 1.00
3~29kBq/㎡ 1.05 0.99~1.11
30~39kBq/㎡ 1.03 0.95~1.12
40~59kBq/㎡ 1.08 0.94~1.23
60~79kBq/㎡ 1.10 0.89~1.34
80~120kBq/㎡ 1.21 0.98~1.49
まず、3kBq/㎡(3000Bq/㎡)未満を非汚染地域と考え、比較対照地域とします。この非汚染地域のガン発生率と他の汚染地域のそれとを比較するわけです。
相対リスクは汚染地域のガン発生率のリスクが、非汚染地域と比べて何倍あるかを示す指標です。1.0なら変化なしで、2.0なら2倍高いということになります。逆に0.5ならリスクは半分です(2倍安全だとも言える)。
論文では汚染地域全てで、相対リスクが1を上回っています。つまり、放射能に汚染されていればガン発生のリスクが高まることを示しています。
ただ、95%信頼区間を見て分かるように下限が1を下回っています。つまり、統計的には有意な差があるとはいえません。
果たして、この結果は本当なのでしょうか。相対リスクを再検証してみましょう。
コホート研究でガンとの関連性を調べる
このような検証に最適なのが臨床試験によく使われるコホート研究です。コホートの語源は古代ローマ時代の歩兵隊の単位で、共通の因子を持った集合のことです。そこから、疫学では投薬した集団と投薬していない集団を比較し、因果関係を調べることをコホート研究と言います。
コホート研究は別名、要因対照研究とも呼ばれます。
具体的には調査対象を暴露群と非暴露群に分けて、それぞれ疾病の有無を数えます。まとめると以下のような2x2のクロス表になります。
| | 要因への曝露|
| | あり | なし |
+---------------+------+------+
|疾病の有無 あり| | |
| ----+------+------|
| なし| | |
+---------------+------+------+
今回の場合、この表に値を埋めていくには、ガンが発生した数と発生しなかった数が必要です。前述の表より、住民数からガン発生数を引けばデータが整います。
=======================
6,691 352,818
10,378 517,434
1,827 90,496
2,744 122,118
401 21,224
368 16,683
このデータを先ほどの暴露群、非暴露群のクロス表に当てはめてみます。汚染度が3~29kBq/㎡の場合を例として記します。
|セシウム137汚染| 要因への曝露|
| 3~29kBq/㎡ | あり | なし |
+---------------+------+------+ ---+
|疾病の有無 あり| 10378| 6691| |
| ----+------+------| 癌 |
| なし|517434|352818| |
+---------------+------+------+ ---+
| |
+---- 汚染 ---+
同様にそれぞれ2x2のデータを"r03.dat"、"r30.dat"、"r40.dat"、"r60.dat"、"r80.dat"の5つのファイルに保存します。r03.datファイルの内容は次のとおりです。
6691 6691
352818 352818
相対リスクで危険度合いを計る
これらのファイルから相対リスクを計算するために、rriskというrpnプログラムを用意します。それぞれのファイル毎に計算して、risk.txtに計算結果を格納してみましょう。
>rpn -c rrisk <r30.dat >>risk.txt
>rpn -c rrisk <r40.dat >>risk.txt
>rpn -c rrisk <r60.dat >>risk.txt
>rpn -c rrisk <r80.dat >>risk.txt
risk.txtファイルの内容を見てみます。一番左の数字が相対リスク、その後の数字は95%信頼区間の下限・上限の数字です。
1.05646 1.02479 ≦ 95%信頼区間 ≦ 1.08911
1.06328 1.01018 ≦ 95%信頼区間 ≦ 1.11917
1.18079 1.13 ≦ 95%信頼区間 ≦ 1.23386
0.996339 0.901679 ≦ 95%信頼区間 ≦ 1.10094
1.15962 1.04528 ≦ 95%信頼区間 ≦ 1.28648
このファイルから相対リスクだけを抽出します。冒頭の相対リスクとは値が違う気がしますが、種明かしはそのままに検証を続けます。
これでrisk.datに相対リスクが格納されました。さっそく、グラフ化してみます。
^y 1.3
|
1.2
| *
| *
1.1
|
| * *
1・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
| *
|
0.9
|
| x
| 5
+0.8---|-------|-------|-------|------->
3~29k 40~59k 80~120k
30~39k 60~79k
セシウム汚染が酷ければ酷いほど、右肩上がりにガン発症のリスクが増えている(1以上)ように見えますが、なぜか60~79kBq/㎡では1以下(0.996)になっています。これでは、汚染されてないとする比較地域(3kBq/㎡未満)よりもガンの発生リスクが少ないということになってしまいます。
放射能の危険性を考えたとき、汚染が酷いほどガン発症のリスクが増えると仮定するのが普通です。多少の誤差は避けられないとは言うものの、ガン発症リスクが線形に増加しないのはちょっと意外な感じもします。
当然、95%信頼区間でも60~79kBq/㎡は相対リスクが1以下です(信頼区間の上限は1以上)。それ以外の汚染地域は1以上なので非汚染地区よりリスクが高いとはいえますが、汚染が酷いはずの60~79kBq/㎡で逆にリスクが小さくなってしまうのですから、すっきりとした結果ではありません。
少なくともトンデル論文に掲載されたデータを直接計算すると、高線量地域でガン発生リスクが何故か減るということ、そして統計的にも一部の地域で有意差がないことが分かります。結果的には放射能が原因でガンの発生率が増えたとは断言できないわけです。
ガンの原因は複雑です。実際のトンデル論文では人口密度やガン発生率の地域差、喫煙などの補正を掛けています。その補正が正しいかどうかは別として、補正後の相対リスクは全ての汚染レベルで1を超えています(記事冒頭の相対リスクの表)。しかし、95%信頼区間では下限が1を下回っていますので、やはり統計的な有意差はありません。
※同時に放射能が原因で発症率が増加した可能性も否定されているわけではないことに注意。
次は…
コホート研究(要因対照研究)は事前に暴露要因と疾病の関連を想定して、場合によっては長期に渡って疾病の発生を追跡する必要があります。当該研究が前向きと言われる由縁です。
危険度の寄与や大体正しい結論を導くことができる優れた方法なのですが、時間もコストも掛かるのが難点です。スウェーデンのガン発生率を検証したケースは優れたコホート研究の事例です。
では、時間もコストも掛けることができない場合、どうすればいいのでしょうか。その場合には、症例対照研究(ケースコントロール研究)を使います。既に症例が発症している段階で、未発症のグループとともに暴露要因の有無を過去に遡って調べます。こちらは後ろ向きと言われます。
症例対照研究は別名、結果対照研究とも呼ばれます。
では、このトンデル論文のデータを使って症例対照研究するとどうなるでしょう。結論はコホート研究とは異なるのでしょうか。また、ガンとの因果関係が証明しづらい事例として、放射能と話題はそれますが、送電線とガンの関係についても検証しています。
rpnプログラムを実行するには、rpn試用版かrpn標準版が必要です(バージョンの違いはこちら)。
rownumはカンタン分析パッケージに同梱されています。xypとnpdはrpnの姉妹ソフトウェアです。詳しくはプロダクトを参照ください。
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